2010年09月05日

G.ホルスト 組曲「惑星」

 ホルスト(Gustav Holst)と言へば、真っ先に思ひつくのが、組曲「惑星」(1914-1916年)。大編成のオーケストラで、テューバもテナーチューバ(Tenor Tuba)とバスチューバ(Bass Tuba)のパートがあります。

 イギリスの作曲家で、吹奏樂曲も作品として遺してゐることから、この「Tenor Tuba」はユーフォニアムであらうと即決したくなるのですが、實際にスコアを辿ると、どうもユーフォニアムの役割とは雰圍氣が異なることに、すぐ氣がつくでせう。

 テナーチューバのパートがあるのは、重厚で攻撃的な「火星」、快活でエネルギッシュな「木星」、風變はりでリズミカルな「天王星」です。

 もしホルストがユーフォニアムを意圖してゐたなら、穏やかで美しい「金星」や、重く朗々とした「土星」、神秘的ではかない「海王星」あたりに使った方が、より効果的で、ユーフォニアムといふ樂器の特性が、存分に活かされさうな氣がします。

 ホルスト自身の指定によれば、「Tenor Tuba」と「Bass Tuba」が共に「Tuba」のパートを担当してゐます。これは、スコアで言ふと、一つ上段の「Trombone」パートを「2 Tenor Trombones」と「Bass Trombone」とが担当してゐるのと同じ意圖だとも考へられます。

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  Boosey & Hawkes Music Publishers Limited 15970

 ホルストが意圖したのはヴァークナーテューバであるとか、いやユーフォニアムであるとか、色々な見解があるやうです。しかし、マーラーが「Tenorhorn」といふ普通に使はれてゐる樂器を指定したのとは違ひ、「Tenor Tuba」といふ樂器がない以上、ホルストはそのパートに「高音域のテューバ」を指定したに過ぎないと考へるべきかと思ひます。つまり、「どの樂器が正しいか」よりも、ホルストの意圖したであらう役割を考へて、それを適へる樂器なり、アプローチをすることが大事なのではないかと思ふのです。

 ですので、例へばユーフォニアムで演奏して、もし火星のソロが弱々しかった時に、「いや、ホルストはユーフォニアムを意圖したのだから、これでいいのだ。きっと戰爭の愚かさを表現したに違ひない」といふ解釋をするなら、それは本末轉倒の解釋だと、私には思はれます。

 また、同じソロをヴァークナーテューバで演奏した、非常に攻撃的なアプローチを、「ホルストはユーフォニアムを意圖したのだから、これは荒すぎる」といふ解釋をするなら、これもまた本末轉倒の解釋だと、私には思はれるのです。
 
 ドイツ式バリトンによる演奏、ヴァークナーテューバによる演奏、ユーフォニアムによる演奏など、様々な演奏がありますので、聽き比べてみるのも面白いかと思ひます。

 ユーフォニアムで演奏した例はこちら
 テノールホルンで演奏した例はこちら
 
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2010年09月04日

テナーチューバの正しい知識

 日本では、テナーチューバと言ふと、ユーフォニアムと同じ音域ではあるものの、ヴァルヴがピストン式ではなく、ロータリー式の金管樂器、つまりドイツや東欧諸國の吹奏樂團で使はれてゐるテノールホルンやドイツ式バリトンを指す方が多いやうです。従って、ピストン式ヴァルヴのユーフォニアムがテナーテューバと呼ばれることは、日本ではまづありません。

 特に金管樂器の專門教育を受けてきた方の多くは、この言ひ方が身に付いてしまひ、最早抜きがたいと感じられることがあります。

 しかし、これは日本の慣習に過ぎないといふことをわきまへておく必要がある、と私は考へます。なぜならこの呼稱が、誤解に継ぐ誤解の末、後に述べるやうな誤った知識と見解とを蔓延させてしまってゐるからです。

 例へば、我が國にはこんな珍妙な説があります。珍妙ですが、堂々とその道の権威の方が書物に書き記してゐます。

 1.(これがそもそもの間違ひですが)テナーテューバはオーケストラの「楽器」です。
 2.テナーテューバはオーケストラで発達してきました。
 3.オーケストラが盛んなドイツやオーストリアでは、吹奏楽でもテナーテューバが使はれてゐます(← 本末転倒の結果になりました)。

 上のやうに思ひ込んでゐる人に、これを間違ひだと指摘するのは、かなり厄介です。根本的な間違ひを指摘しなければならないからです。そして、根本を間違へたまま、すでに多くの経験が加はってしまってゐます。先生や先輩から「これはテナーテューバだ」と教はってきた、見てきた、そして使ってきた、教へてきた…

 指摘するのも大変ですが、何より指摘された方は、単に正確な知識を得るといふのではなく、自分の経験や知識の根本を全部一度ひっくり返さなければならないのですから、これは精神的にかなり大変なことなのです。

 といふことで、こんなことは極度のヲタクやマニアが知ってゐればいいなんて結論を、安易に持ち出してしまひがちなのです。

 しかし、そもそもの間違ひは、「楽器名ではなくパート名」といふだけなので、ちっとも面倒なものではないのです。むしろ面倒なのは、自分の知識と経験を疑ひ、何の根拠があって先生や先輩はさう言ってゐるのかと疑ふことなのです。

 細かくパートが分けられた樂曲を奏でるには、やはり作曲者が想定した樂器や役割に向き合ふべきでせう。それを例へばユーフォニアムの方が「機能的に優れてゐる」「音色が豊かだ」「扱ひやすい」からユーフォニアムでやるとか、作曲者がテノールホルンを指定してゐるからテノールホルンで演奏しないのは間違ひだとかと思ふより、まづは作曲者がどのやうな音色や演奏をテナーテューバといふパートに託したかを考へるべきだと思ひます。

 ロータリーの樂器に反發するのも、ユーフォニアムを馬鹿にするのも、實は根が一緒なのです。結局はテナーテューバに關する、正確な知識を受け容れることを拒んでゐるに過ぎず、テナーテューバを利用して自己の立場を正當化しようとしてゐるだけなのです。そして最も殘念なことに、そのことに本人は氣付いてゐないのです。

 「チェンバロは音量がなく、音色も貧弱だから、音量の幅があり、音色の豊かなピアノフォルテで演奏すべきだ」とか「チェンバロのために作曲したものをピアノフォルテで演奏するのは邪道だ」とか言ふのと同じです。

 何とも馬鹿馬鹿しい状況だとは思ひませんか? 

 一度自分の知識をゼロにする勇氣、それさへあれば、より多くの確かな知識と知恵と感覺が養はれるといふのに、それにそっぽを向いてゐるのは、實に勿體ない話だと思はれてなりません。
 
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