リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」(1897年)には、「Tenortuba」のパートがあります。テナーチューバは、ドン・キホーテの腹心、サンチョ・パンサのキャラクターを、ヴィオラやバス・クラリネットと共に演じる、重要なパートです。
Basstuba は通常のとほり、in C のヘ音記号で書かれてゐますが、Tenortuba は in B♭のヘ音記号で書かれてゐます。 バスクラリネット共に奏でられる、サンチョ・パンサのとぼけたメロディー マーラーの交響曲第7番「夜の歌」には「Tenorhorn」といふパートがありますが、さういふ名稱の樂器が實際に普及してゐたために、マーラーがテノールホルンそのものを意圖してゐたと察することが出來ます。
一方、R.シュトラウスの「Tenortuba」といふパートは、そのやうな名稱の樂器が普及してゐない爲に、どのやうな樂器を意圖してゐたのかが判りにくいのですが、ここに大きなヒントがあります。それは、ヘ音記号のB♭調といふ、ドイツやオーストリアの金管低音樂器にはあまり例のない、獨特の記譜です。
このやうな記譜をしてゐる例は、ヴァークナーが「Tuben」として書いたヴァークナーテューバぐらゐではないでせうか。R.シュトラウスは、ヴァークナーテューバを意圖してゐた、または、當然それが用ゐられるものと想定してゐたために、このやうな記譜をしたのではないか、と考へられるのです。
また、こんなエピソードがあります。1899年(初演の翌年)12月、當時ドレスデン宮廷歌劇場音楽総監督で指揮者だった
エルンスト・フォン・シュッフ(Ernst von Schuch)が、この「ドン・キホーテ」のリハーサルをしてゐた所、テナーチューバ担当者が上手く吹けなかった爲に、大變困ってしまったさうです。そこで彼は、この作品の作曲者であるR.シュトラウスに、「テナーチューバは、バリトン(Baryton)用に書き直した」と手紙を送ったとのことです。
指揮者はなぜわざわざ書き換へたのでせうか。まづ考へられるのは二つです。
・バリトン奏者がB調で書かれた譜面では上手く演奏出來なかったので、譜面をバリトン用に書き換へた。
・ヴァークナーテューバ奏者が上手く演奏出來なかったので、バリトン奏者に演奏して貰ふこととし、譜面をバリトン用に書き換へた。
ドイツ語による原典を取寄せてゐる最中の爲、詳細は判りません(現時点では、出典不明、または出典間違いの英文のみ)が、さすがに前者のやうな事態は、實際の現場では起こり難いと思ひます。譜面が讀みにくいといふ理由で、指揮者がわざわざバリトンに書き換へてあげるわけがありません。プロ奏者なのですから、讀みづらければ自分で書き直してリハーサルに望むでせう。さうすると、後者の方が合點がいきます。
さらにR.シュトラウスは、自身の作品におけるテナーチューバについて、1905年の「INSTRUMETATIONSLEHRE(管弦樂法)」にて、興味深いことを書いてゐて、それも重要な判断材料となるのですが、大變に長くなる爲、別項に譲ります。
現在は、ヴァークナーテューバで演奏することは極めて少なく、ほとんどがテノールホルンやバリトン、ユーフォニアムで演奏されてゐます。
R.シュトラウスと縁の深いウィーンフィルハーモニーは、時折ヴァークナーテューバで演奏することがありますが、それはR.シュトラウスの最初の意圖を重視したことによるのかも知れません。
ドイツ式バリトンで演奏した例は、
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